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相変わらず元気そうで



底冷えするのは昔と変わらなかった。

12年前、3月の中旬に初めて行き、それから5年間通い続けた空間。今はスタジオとなり、面影は残るけど今日行った時はシドのMYWAYが流れ、隠れ家的なセットが組まれ、知っている役者と知らない役者が初めて観る芝居の中で生きていた。

相変わらず元気そうで嬉しかった。でも相変わらず元気な姿を観に行った訳ではなく、相変わらず元気な姿が必死になって書いたであろう芝居を観に行った。内容は本人そのものという感じがして、面白いとか詰らないとか、そういう感覚ではなかった。

今日は昼過ぎから、ずっと左脳に痛みが走り、今も痛いんだけど、観劇中は痛みを忘れていた。

ただ一つ気になったのは、書いた人間と演出している人間の間に距離を感じた事だった。まあ、これは勝手に感じた事だから、気のせいかもしれないが。


カーテンコール後、そそくさとスタジオを出ると外には懐かしい顔の女性がいた。こちらも元気そうで何よりだった。今でも東京でのお母さんだと勝手に思っている。

スタジオがスタジオになる時には毎日、スタジオにするためのお手伝いに行った。思い出の詰まったオートバイやら自転車、小道具など珍しいものがいっぱいあって、それを一つ一つ片づけて、沢山の名前と汗がしみ込んだ平台を泣きながら壊したのを今でも覚えている。

その空間にはディーツというドイツの犬がいて、よく散歩に連れて行った。ディーツはワイマーラという犬で力が強く、大きくて、綺麗で、甘えん坊だった。散歩という言葉を出すと半分になった尻尾を振って、オリンピック選手のように走り回り、少し離れた公園に行くのを楽しみにしていた。勿論、俺も楽しみの一つだった。

3、4年前のある日の早朝、東京のお母さんだと思っている人からディーツが天に還ったとメールが届いた。突然の出来事だった。俺は夜勤のバイトをしていたので、それが終わると花を買って東京のお母さんに会いに行った。憔悴したお母さんを見るのは二度目だった。

誤解曲解が俺を頑なにした時期があった。すべてを語るのはナンセンスだとも思った。それはディーツより先に天に還ったディーツの飼い主でもあり、自分の師匠でもあった人からの最後の試練だと受け入れ、スタジオに行くことはなくなり、自分の歩み道を進んできた。


スタジオを出ると東京のお母さんは俺だと気がつかなかった。それで良いと思ったのに、5,6歩、進むと後ろから元気にしてると声をかけてくれた。

はい。

そうとしか言えない俺はすぐに帰路へ。

オートバイを走らせ、今日観た芝居と、スタジオになった空間に通い続けていた頃のことを思い出し、当時いっしょに芝居を学んだ人たちの顔と、情熱と熱情を注いで指導してくれた師匠の言葉が、痛みの走る左脳に響き、頬を突き刺す冷たい風すら感じさせなかった。



俺は今、最高の仲間たちに囲まれながらTOKYOハンバーグをやっている。

土屋も相原も金重も俺もみんなダメ人間なのに、ダメじゃない人間よりも生き生きして演劇をやっている。ダメとは言葉の意味であって意識にあるものではない。

ダメじゃないというもの同じだ。

もっと人間らしくありたい。

改めて想った夜だった。

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