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母ちゃんの日。


日付も変わって、昨日、母ちゃんから電話があった。花を送ったのね、それが11日じゃなくて、10日届いちゃって、それでなんだけど、花くらいで喜んでくれるのは嬉しい。

10ヶ月も、母ちゃんのお腹の中にいたなんて不思議。
今日は母の日、だけど本当は毎日感謝すべき、世界でたった一人の女性。

幼い頃、家族で箱根に家族旅行に行った。親父は俺と兄貴を森の中にあるアスレチックに連れてってくれて、母ちゃんは物心のついていない弟の面倒をみながら、車の中だったか、飲食店の中だったか、旅館だったかで三人の帰りを待っていてくれた。

俺はわんぱく小僧だった。親父よりも兄貴よりも、ドンドン奥へ進んでいった。 何か耳元でブ~って音がするなと思った瞬間、まぶたを蜂に刺されてボクサーが試合終わった後みたいに腫れ上がった。

そこまで痛くはなかったけど、腫れ具合は酷かった。親父も兄貴も笑っていたけど、母ちゃんの所に...帰ると、母ちゃんは至極心配して、俺はケロッとしていたのに、母ちゃんが泣きそうになりながら冷えたタオルを瞼に当ててくれた記憶がある。

中学2年の頃、他校の3年生達と喧嘩を起こして問題になり、夜遅くに学校に呼び出された事があった。どの角度から見ても聞いても自分たちの息子が悪いってわかっているのに、お世話になっている先生に思いっきり目の前で自分の息子たちが殴られているのを見て、どんな心境だったのだろう。

校長室で正座させれた俺とノブヤンとタケちゃんとヨッチン。 その後、4人はスポーツ刈りにさせられ、俺が一番似合っていなかったのが腑に落ちなかった。

中学から高校へ進学した時。
俺は地元を離れ、四日市の高校に進学をした。所謂、寮暮らしだ。引越しの日、トラックの荷台にベットだの着替えだの生活雑貨を積んで親父と母ちゃんと四日市へ向かった。車の中では、あまり会話はなかったんだけど、泣きそうになっている母ちゃんの表情が今でも忘れられない。

東京に出て来て、俺が演劇研究所に通いだした頃。
研究所での発表会を初めて観に来た時=俺の芝居を初めて観劇した時、今は星になちゃった師匠に、深く深く頭を下げてお礼をしている母ちゃんを見て、俺が泣きそうになった。

親不孝が何なのかは身をもって経験してきた。
けど、親孝行ってどんなことを言うのだろう。
母の日に花を贈るくらいで親孝行って言えるのかな。

中学卒業後に親元を離れてから、そのまま転々として今があり、もう20年になる。俺の人生の半分以上だ。

その20年間の中で、何回、母ちゃんを見たのかな?
この先、あと何度、母ちゃんって呼べるかな?
あと何度、甘えられる?
あと何度、何かをしてあげられるかな?
あと何度、会えるのかな?

俺がどれだけ大人になっても、やっぱり母ちゃんは母ちゃん。
俺にとって、とても大切な親。

今でも心配かけちゃってる親不幸なドラ息子なんだけど、いつまでも元気でいてほしい。そんでもって、俺が母ちゃんに出来ることは、情けないけど自分の芝居を観て貰うくらいしかないんだなぁ~。

だからって訳でもないけど、人の心の栄養になるような作品を、これからも書いていけるように、上演出来るように、そんな表現者でありたい。

10ヶ月も、母ちゃんのお腹の中にいたなんて。
その10ヶ月を母ちゃんは、どんな気持ちで頑張ってくれたのかな?
そういう事を想えるようになった俺は、少しくらい成長できたのかな?
でも、本当の本当に、実は当たり前のことなんだよね。
母ちゃんってのはさ、本当は毎日感謝すべき、世界でたった一人の女性なんだよね。

いつも、ありがとうございます。







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