スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ココロニノコル

『のぞまれずさずかれずあるもの』が終わってから、まだ二週間しか経っていないのに何だか、すでに数年前のような感覚に陥っていて、時空の中で右往左往している自分を痛感している。

師走という時期なのもあり、ゆっくりしていようかとも思ったけど、これが中々出来ない。

でも、忙しいのは慣れた。

今年に、どこかで落としたモノや忘れたモノを、来年は拾ったり思い出したり出来るかな?


17日の忘年会の日、TOKYOハンバーグメンバーは早めに集まって来年の事を話し合う。2011年は2本の公演を予定していて、その2本目でTOKYOハンバーグ10回目の公演となる。これは、やはり節目でもあるから、今までと同じことの中でも違う同じをやってみたい。

考えてみれば、お金を貰って観てもらう芝居に出たのは確か25歳の時だったと思う、それまでは発表会形式だったから。しかしTOKYOハンバーグを観てもらう人からお金を貰って芝居をしたのは2006年11月の旗揚げ公演だった。

劇場公演を自分でやってみると、本を書くのも役者を集めるのも、稽古をやってゆくのも大変だけど、一番大変なのはお金の事だった。公演資金を作り、赤字になったりもして、それでも、また公演を打って・・・チケット一枚に値段をつけるのにも悩んだりして、だからといって自分の芝居や作品、それに出てくれる役者の値段をチケット一枚の値段だとは思っていないし思ったこともない。お金は流通するだけであって、でも観てくれる人たちはチケットを買い、交通費も出して、何よりも芝居を観に来るという時間まで作ってくれる、この有難さと言ったら言葉に出来ない。

そして、やる側と観る側の両方を知っている。

やる側のお金を貰って劇場公演を観てもらう立場と、観る側のお金を払って劇場公演を観るという立場を知っている。

お金を貰って芝居を観てもらう事とは、観る人に物理的ではない何かを与えなければならないと思うし、観る側はお金を払う代わりに物理的ではない何かを与えてほしいとも思う。

お金と芝居を交換するようなものだと思う。そんな言い方をしてしまったら少しだけ寂しく感じるけれど、それは厳然とした事実だ。

お金に価値があるのではなく、お金を払うモノに価値があるのだとも言っておきたい。


今年は執筆が忙しく上半期は殆ど芝居が観れなかった。ここ最近は、なるべく観に行くようにしているが、それでも案内を頂くすべてを観る事は現実的に不可能で。

その時に何を優先順位で観に行くかに悩む。

メールでの案内。ちゃんとDMを送ってくれる案内。義理とか。それとも、まったく知らない人の興味をそそる様な公演。色々だ。

今はお金と時間に余裕がある限り、全部行きたいと思っている。世の中にどんな芝居があるのかが気になるのだ。名前の売れた作家や演出家の芝居。流行の劇団。有名な役者の芝居。チラシだけを観て面白そうだなって思った芝居。



知り合いでも知り合いじゃなくても芝居を観たら、なるべくブログで感想を書いている。知り合いでも知り合いじゃなくても、本音で感じた事や思った事を綴りたいと思っている。どんな芝居でも良かったところは必ずあると信じたいので、良かったところを書き、その逆も書こうと心がけている。抽象的にではなく具体的に。

本人に聞かれたら、これは聞かれたらだけど、本音で感想を伝えようと思っている。

本音で。

これが厄介で、本音で面白くなかった方向の感想をいうと人間関係が壊れてしまうんじゃないかという事になりかねない。

日本人はタテマエやお世辞を言うし、自分がどう思われているかをとても気にする性質を持っているので割りと安パイ的な言葉で終わらせる人が多いと思うけど、俺もそうだったし、でも自分が本気で劇場公演をやっている以上、タテマエやお世辞で自分の公演の感想は聞きたくないと思っているからこそ、感想を聞いてくる知り合いにはタテマエやお世辞で感想を言いたくない。

痛い事を言われると凹むけど、その痛い事が最良のアドバイスだったりもする。それを認めたくない間は、まだまだ未熟者なのかもしれない。

過去にTOKYOハンバーグの公演でも、とても痛いことを言われた事がある。だけど、その痛い事が今となっては、とても大きな励みになっている。勿論、お褒めの言葉も大きな励みになっている。
それはお金を払って観ているからこそ、言える事であり、その意見が自分にとって否定的に取れたとしても、お金を払って観てくれた人の意見を邪険にしてはいけない。

TOKYOハンバーグ過去公演のアンケートの中にこんな感想が書かれていた。

『作家のオナニーですね』

『驚くほどに作家に才能がない』

『演出がダメだと出演している役者が可哀想だ』

この時は、流石に凹んだ。感傷という海に溺れて死にそうだった。っが、開き直ろうとも思った。周りは気にするなというし、俺への嫉妬だとも言ってくれる人もいたし、悪意ある人の嫌がらせだよとか。でも、この感想を俺は忘れる事が出来ない。そしていつも俺の頭の中にあり、今では逆にアドバイスだと受け取っている。そしてこれが観てもらう方の立場や覚悟だとも。

肯定否定、賛否両論は色々あるだろう、感想は観た人の数だけある。そりゃ俺だって否定されたくないし、賛否の否は嫌だけど、肯定の中でも無数の肯定があり、否の中にも無数の否がある。それは劇場に足を運んでくれた人の数だけあるという事を認識していなければいけない。

そう思うようになったのが3年くらい前だ。

痛くなるような感想を聞いた時は、素直に受け入れられる謙虚さが必要だと思う。勿論、悔しいと思うのなら、それを活力源に変えれば良い。俺は劣等感こそ最大の活力源だと思っている。



最近、知り合いの芝居を観に行き、どうだったと聞かれたので本音で感想を言っていると、途中で、凄く腹が立つと言われた。俺は腹を立たせるつもりなど一切ないし、お世辞やタテマエなど言いたくなかったし、お互いに触発し合いたかったから。

話は途中でシャットアウトされて、怒らせてしまった事に悪びれるしかなかった。

っが、感想を伝えた事に、とても後悔をした。自己嫌悪に陥るほどに、そして凹んだ。またもや感傷という海に溺れて死にそうだった。

自分の想っている事を伝える言葉の選び方にも、話を最後まで聞かずに罵ってくれた相手にも嫌気がさした。嫌気がさした自分に更に自己嫌悪だった。

本当に虚しかった。



腹を割って具体的に繊細な処まで話す事が大切だと想う。その話が良い方向でも悪い方向でも話が出来る事が大切だと想うし、そこに信頼関係があるんじゃないのか?

そういう関係を保てる人が自分には何人くらいいるだろう?
本気でやっている事への本音で言ってくれる人が何人くらいいるだろう?
俺に対して、こう想ってくれている仲間は何人くらいいるだろ?




今、渋谷に向かうバスの中。
これから芝居を観に行く。

心に残る芝居が観たい、それだけだよ。




TOKYOハンバーグワークショップに興味のある方はこちらから!

◆メンバーのブログはこちらから◆
相原奈保子のナオコノハコニワ
土屋士のツチブログ -好球筆打-
金重陽平の義務ブログ


TOKYOハンバーグ公式サイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。