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感情が生まれるには理由がある。

先日、目白にてULPS 第3回公演 『十二人の怒れる男』を観劇。

タイトルどおり十二人の男が怒っている話だ。
勿論、舞台上の男たちは怒りまくっていた。
何だか、途中で俺が悪い事したんじゃないかというくらいに怒っていた。

俺は昔から親や学校の先生に怒られる事が多い少年だった。
社会に出ても人によく怒られた。
だから怒られるのは慣れている。

が、しかし、その日の終演後は酷く疲れた自分がいた。
つまり、そのくらい『怒る』という現象にエネルギーを感じた。




『怒る』とは人間の感情の一つな訳で、その感情が生まれるには理由がある訳だ。

例えば、大切な物を盗まれた。
騙された。
裏切られた。
馬鹿にされた。
無視された。
いきなり殴られた。
まだまだ怒りを覚える事はいっぱいある。

然し、怒りの理由が違うと、怒り方も違ってくる。
つまり感情の一つである『怒り』には、無数の怒りがある訳だ。

無数の怒りには、其々の理由があり、然し、その理由から怒りを覚えれば、その理由に対しての怒りになる。

そこが今回の芝居では弱かった気がした。
怒りが弱かったのではなく、その怒りと文脈に不一致を感じたのだ。
でも、一番良くなかったのは、何人かの役者が声は出ているが何を言っているのか解らなかった事だと思う。

役者が板の上で何を言っているか解らないというのは致命的だ。
一生懸命に何を言っているのか聞こうとしたから、俺は疲れたのかもしれない。

戯曲は有名だし、読んだ事も、違う座組みでの上演も観た事がある。話そのものは知っているので、それを観に行った訳ではなく、舞台上にある心情と衝動、その瞬間に生まれてくるものを楽しみ観に行っただけに少し残念だった。

『人が人を裁くこと』の難しさを12人の陪審員が論理と感情と己の正義で壮絶な討論を繰り広げる陪審制度を題材にした作品。著者のレジナルド・ローズは、この本を書く前に12人と同じような経験をしたとかどうとか、もう何年も前に何かで読んだ記憶なので曖昧だが、根本には『人が人を裁くこと』があり、そこから観る側に何が見えてくるのか・・・それは怒りだけではないような気がする。

そもそもレジナルド・ローズは、最終的に12人の陪審員に無罪と主張させる訳だが、罪も無い少年を12人の陪審員が討論の末、救ったとするのならの陪審員制度は人類にとって必要な制度になりうるし、逆に殺人を犯した少年を陪審員が討論の末、救ってしまったとしたのなら陪審員制度は必要ないだろうし。

やっぱり難しい作品だと思う。



ULPSは旗揚げ公演からずっと拝見させて頂いている。今回に関しては招待までして頂いたのに残念だったと書くのも少し申し訳ないが、芝居に対する姿勢、観客を持て成す礼儀など、見本にするべき点も多々ある劇団だ。今回の公演で満足された方々には何も言う事は無いものの、もし俺と同じように感じた方がいらっしゃるなら、ULPSの次回公演は期待してほしい。



さて、明日と明後日は5月公演の出演者WSオーデションだ。

受けに来る人は皆、緊張していると思うけれど緊張感で萎縮させないように楽しい時間を過ごしてもらいたい。

自分も芸能事務所にいた頃、オーデションには散々行き、散々落とされ、散々凹んだ。

結局、2,3分程の短い時間で俺の何がわかるんだと、感傷という海に溺れて死にそうになった。

そもそもオーデションなんかやると無理に演技したり、アピールする事に、いっぱいいっぱいになってしまうからTOKYOハンバーグではやりたくないとも思っていた。

何故ならば芝居はそんな簡単に出来るもんじゃないし、役作りとは登場人物の想いや台本に籠められたメッセージを役者がどれだけ感じて、少しずつ構築した想いが、表に出てくるものだと思っているからだ。

人物を自分に引き付けるのではなく、自分が人物に歩み寄り、その世界で生きる事が役作りだと思っている。



生意気な事を散々言いつつも2009年『月光の在り処』でも出演者オーデションをやり、今回もやるのは、色々な人と出会いたいし、新しい役者とやる事でTOKYOハンバーグも刺激を受け、劇場公演という作業を本質的な処で共有したいからだ。

モットーは楽しむこと。
おふざけではなく。
純粋に演劇を楽しみたい。

たった2日間で人の事なんて全部わかる訳ではない。
でも、わかる事もいっぱいある。

有意義な2日間にしたい。



TOKYOハンバーグ公式サイト

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